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ぞーんまん

要介護1になった母と同居を始めました。まだ自分でわりと動けますので、一緒に料理したり、外出するなどして、これはこれで、親孝行もできるようになって、結果的には在宅介護になってよかったのかな…と感じるところもあります。
というのも、ケアマネージャーがついてくれて、あれこれ教えてくれるし、プランもお任せすればよかったので、デイサービスなども使えて、母もわりと楽しんでるようでいろんなことに助けられているからだとも感じますね。

でも、こういうシステムができたのってここ10年くらいなんでしょうか?もっと前の時代は、在宅介護はどうやって進めてたんですかね。なんのサポートもなければ、相当過酷だと思うんですけど…。

みんなのコメント

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    • たこいち

      2017/4/11

      昔は子供が多すぎて養えないときは長男以外は食い扶持を減らすために丁稚奉公、女は奉公か女衒に女郎だよ。年寄りは姥捨て山(「楢山節考」という古い映画を参照にどうぞ)貧しい人間は体を酷使しているからまず長生きしなかったしね。ここで聞くより自分で調べたらどうですか?
      今はどんなに認知症だのお金がないだの言っても楢山節考のようには出来ません。

      • たこいち

        2017/4/11

        そんな昔まで遡るなら。

        年老いて体が利かなくなって死ぬという当たり前の事に、今ほど馬鹿騒ぎしなかった。

        • たこいち

          2017/4/10

          江戸時代は食えない階層は姥捨て山で武士階級は座敷牢ではなかったのかなぁ・・・最も50で隠居し60になる前に死んでいたから介護は不要だったかもしれない。戦時中は20~30代で徴兵され戦死していたから介護、認知症老人は半分もいなかったのかも・・・広島や長崎、空襲都市ではご存知の通りです。

          • たこいち

            2017/4/10

            元々、昔も「養老院」はありましたよ。
            介護制度が出来る前は病院にずっと入院できていたんです。
            うちの祖母も半年ぐらい入院してましたし。

            結局、コイズミ政権から起こった社会保障費削減政策のツケだと思います。
            予算分配の構図が80年代後半から変わったんですよね。

            • たこいち

              2017/4/10

              措置制度から、契約制度に変わったことが特徴的です。

              • たこいち

                2017/4/10

                「恍惚の人」という小説があるので、読んでご覧になったら。

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              • アイコン
                ちぇ

                認知症の祖父は日中は穏やかに暮らしているのですが、夜になると騒いで困ります。できるだけ日中に散歩などをしてもらっているのですが、玄関から出て行くまではいかないものの、興奮して騒ぎ立てるので近所迷惑にもなっていないか心配です。 いったん布団に行くまでは良いのですが、眠りが浅いのか起きてきて家に帰らせてくれなどと言います。 家族はみな仕事や学校があるので夜通し付き合うことは無理です。みんな疲れ切っています。どうすればいいでしょうか。

                認知症ケア
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              • アイコン
                ひよこ

                高齢になった母(77歳、白内障の手術をしている、糖尿病、耳がややとおくなっている)と会話しているときに、どうしてもちょっとかちんと来てしまうことが多くて、優しくできません。 今特に介護の必要はない状態ですが、判断力が落ちている気もしますし、何かとおぼつかないことが増えてきました。 この間も電話でセールスに騙されかけたことがあって、本人はかなり鈍感で何が悪かったのかしら‥という雰囲気です。そういうときもこちらがもう少しおおらかに対応ができればいいんでしょうけど、私はややキツイ口調で諭してしまうんですよね。 こういう言い方が性格からきているものでもあるんですが、どうにか改善できる方法ってあるでしょうか。

                教えて
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              • アイコン
                たこいち

                実家の両親のことで相談があります。 父親は糖尿病、パーキンソン病にて70歳ぐらいから、 心身機能が損失し、ぎりぎりで頑張っていましたが、 それをケアしていた母親が、2回の圧迫骨折にて 現在、ひどい腰痛を抱えています。 昨年より息子である私が、 月1回の父親の病院(糖尿、皮膚科、神経内科、泌尿器科)への 送迎を担当しており、毎回、実家からタクシーにて病院往復しておりました。 父親の病院は、父が勤めていたころの利便性がある病院で 現住所の行政区間ではなく、病院既定の地域の介護タクシー等が 呼べない状況です。 先日も、タクシーで帰宅後に、腰痛がするというので 急きょ近所の母親が通っている現住所の診療所にて 診察をしたところ、圧迫骨折したことが判明しました。 いったん自宅での療養を決めたものの しばらくして朝起き上がれず、また母も手が出せずに 入院することになりました。 しかしながら、普段利用している病院は、 圧迫骨折での入院を断りました。 しぶしぶ、診療所から別の現住所エリアでの 総合病院に入院致しました。 (しかしながら、その病院には糖尿内科と、 神経内科はありませんので、糖尿病やパーキンソン病の診察は されません) 約1か月の入院をし、そろそろ退院のめどが立ってきたのですが、 ここで退院後の生活をどうするかが課題になっています。 本人の意思は別として、今後の選択肢は下記です。 1)父親を自宅介護、母親と同居 2)父親は施設に入れる。母親は現住所 3)父親を自宅介護、母親は別居 1の場合、おそらく骨折前の状態に生活レベルが100%戻れるのであれば、 なんとか母も腰痛を抱えつつも、父親の介護をできそうです。 ただし、母親は父が帰ってくると生活の面倒を抱えるので、 負担が増えて、自分の体ではそれが出来ないだろうと不安です。 過去にも外出先での父親が転倒することを避けるために、 本人も圧迫骨折をさせられたことがあります。 また自宅内でも、父が良くコケルらしく、そのたびに冷や冷やさせられています。このままでは殺されるとまで恐れています。 ですので、1の選択は現時点では、新たな火種の原因になります。 次の選択肢は2ですが、あいにく父の病気の都合で、 なかなか受け入れてくれる施設がない可能性があります。 現在は介護3なので、介護施設にもなかなかは入られないし、 せめて介護4ぐらいなら、優先的に受け入れてくれるかもしれません しかしながら、お金の問題や、本人が施設を嫌がっている部分もあり 自宅を希望している節があります。 (本人は、おそらく母親に面倒を見てもらいたいという思いが あるのかもしれませんが、もうこれ以上に母親の負担を かけれる状態でないことも、少々は理解しています) 今回のように、圧迫骨折すると、また同じ問題の灯篭巡りが 始まります。 私的には、母親のケアをしたいので、まず父の介護からの 解放を念頭にしたいと思っています。 最終的な案としては3)があります。 そのためには母親に別居してもらい、母親を介護から解放させるというのが 考えられます。 本当であれば息子である私のもとに、呼び寄せたいのですが、 同居は家内の反対がありますので、なるべく私の目の届く、 私の近所での賃貸借用で、しのげないのかと ただし実際問題は、コストを比較してみないと分かりませんが、 どのパターンにすれば一番いいでしょうか? もし別居であれば、世帯分離というのも可能でしょうか? いずれにしろ、現在は両親が同居のため、ケアマネさんも、母のことは あまり考慮していませんので、別居するか父を施設に入れるなりで、 私的には母にも別のケアマネをつけさせたいと思っています。 父の持病があり、なかなか病院との切り離しも難しく、 介護施設選択の余地があまりない現状で、 ベストな解をアドバイスください。

                介助・ケア
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