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かぷちん

私が義理の父の介護をしていたのがちょうど10年くらい前です。

糖尿病・脳梗塞・認知症と三拍子そろっていた義理の父親は一般の病院では受け入れてもらえず、精神病院か老人病院を勧められました。

老人病院は1部屋に10ほどのベッドがずらりほとんどの患者がうつろな目で、その当時でいう「姥捨て山」でした。さすがにそこに入れることはできないと自宅で看ることを決めたものの、毎日「早く死んでくれないか」と願う日々でした。特に病院へ行った後の状態はひどかったです。

病院嫌いだった本人がなくなったのは病院でしたが、きっとあれ以上家で看ていたら私の精神が崩壊していたでしょう、、、あの当時「福祉大国と言われている北欧も30年前は今の日本のようだったのよ」と言われましたが、あれから10年経ち今また家族で看ることを推奨されていますよね、、、介護環境が以前のように戻るのではないかと危惧しています。

みんなのコメント

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    • たこいち

      2017/4/12

      北欧は老後の為納める税金は高いし胃ろう増設してまで生きるより自分らしく生きたい子供達に迷惑かけてまで生きたくないなどある程度の年齢になると生き方のプランを立てていくそうてすからね。そもそも日本みたいな延命重点な老後は珍しいそうですよ。私も介護の現場にいてただ管に繋がれ寝てるだけなら北欧式のがいいなって思う。無駄にウジウジしておんぶにだっこみたいにみてもらって当たり前みたいな態度で迷惑と時間とらせて子供の人生蔑ろにしてまで生きたくない(私は性格悪いからきっと自分の施設の利用者の悪い部分をだけを集めて濃厚にしたようなどうしようもないお婆さんになりそう)。

      • たこいち

        2017/4/3

        環境をよくするには、あらゆる人々が私心に囚われる事無く、公明正大である事。
        より幅広い大衆が、環境を良くしようと思い尽力をする事。

        • 元業界

          2017/4/2

          福祉業界のイメージは「ストレス」と答える学生が多いそうです。

           これから利益重視ばかりの企業は倒産していくでしょう。専門職が大きな役割を果たさなければならないでしょう。

           これから本気で介護人材育成、待遇改善を業界全体で本気で考えないと、未来は暗いと思います。

          • たこいち

            2017/4/2

            元に戻るという事は無い。みんなの知恵と努力で、上手に丸く納まる。
            いつの世にも諸問題はつきものだし、諸問題が新たに出てくるという事は、致し方が無い事。
            それでも前に進まねばならない。
            それは、人生は後戻りが出来ない事なので。

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            きさらぎ

            夜中に足音を感じて目が覚めたら、時計をみたら深夜1時…。とんとんと歩く音、トイレの流れる音。その後も1時間ごとくらいに足音が…。 認知症の義父のこういう行動のおかげで、毎日寝た気がしません・。 デイに行く日に急に機嫌を損ねて「行かない!」とごねだしたのを、何とかなだめすかして出てもらったら、帰ったらら帰ったでノートには「ご機嫌で過ごせました」と。 かと思うと急にいなくなる、いわゆる徘徊行動が出てしまって困らされたときには、「やめて」というと「いつわしが出ていったか!」とそれを忘れている様子。 もうどう接していったらいいか、まったくわからないし、まともにやっていたら、こっちが倒れてしまいそう。なんだかなぁ。

            認知症ケア
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            すーちゃん

            以前認知症の特集をしている番組を見ていた父親は「俺はあんなふうになってまで生きていたくないがな」と言いました。私は「認知症になっても人間らしい部分はあるし、人権だってあるんだよ」と言いましたが「それでも俺はそこまでして生きていたいと思わないんだよ」というばかり、、、。 まだその時が来たわけではないですが、親がもしもの状態になってしまった時、どこまで本人の意思を反映させることが正しいのかよく分かりません。 私としてはできるだけ治療をしてほしいし、長生きしてほしいと思うのですが、それは結局本人の意思を無視した子供のエゴなのでしょうか、、、

            認知症ケア
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            りょうさま

            父親の介護が済んだと思ったとたん、今度は母親の体調が悪くなりました。病名は肺気腫でした。 とても強かった母、自分の病気のこともよく調べ勉強していました。病院に入院するのは嫌だと訪問してくれる医師を探し、自宅で長く過ごしました。 それでも最後はやはり入院しなければならず、本人が入院する日も決めたほどです。 病院の医師や看護師もよくしてくれましたが、もうなにもしないでくれと頼んだの母でした。結局その後しばらくして亡くなったのですが、何もしないでくれという母親にわがままというレッテルを張った病院関係者。 本当に死にたいと思う患者なんていないと言っていましたが、果たしてそうだろうか、ただ楽になりたいと願う人は多くいるのではないだろうか、自分だったらチューブにつながれたまま数カ月数年と生きるのは嫌だ、、、と思いました。

            雑談・つぶやき
            コメント19

          自分らしい働き方がきっと見つかる

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