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りょうさま

父親の介護が済んだと思ったとたん、今度は母親の体調が悪くなりました。病名は肺気腫でした。

とても強かった母、自分の病気のこともよく調べ勉強していました。病院に入院するのは嫌だと訪問してくれる医師を探し、自宅で長く過ごしました。

それでも最後はやはり入院しなければならず、本人が入院する日も決めたほどです。

病院の医師や看護師もよくしてくれましたが、もうなにもしないでくれと頼んだの母でした。結局その後しばらくして亡くなったのですが、何もしないでくれという母親にわがままというレッテルを張った病院関係者。

本当に死にたいと思う患者なんていないと言っていましたが、果たしてそうだろうか、ただ楽になりたいと願う人は多くいるのではないだろうか、自分だったらチューブにつながれたまま数カ月数年と生きるのは嫌だ、、、と思いました。

みんなのコメント

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    • まりさ

      2017/6/5

      チューブに繋がっていてもそれで「楽」だったらまだいいのかもしれません。長期在宅でお過ごしになられたということですね。お母様はご自身で医療によるベネフィットと、自宅で過ごす心持ちの安定感など見極めて調整してお過ごしになったのですね。
      しかし頑張り屋のお母様にとっても、肺気腫の、呼吸困難の辛さは耐え難いものだったわけですね。
      喘息の方が、潰したような細いストローで息を吸うような状態がいかに辛いかとおっしゃいますが、その状態が24時間続くのですね・・・
      病院で働く方々も、それぞれ色々な考えをお持ちだと思います。
      ですがお母様は、どのように言われてもご自分で選ばれた生き方をお通しになったのです。
      あなたの「わがままというレッテルを貼られた」という悔恨は、お母様を亡くされた辛さをより悲しくさせてしまっているのではないでしょうか。人は、さして気に留めずに言葉を発するものですが、、、そのようにあなたにおっしゃった人(人達?)は特に、大変に嫌味な感じで言ったのかなぁって思います。

      だけどそれをあえてです、あえて、「ええ、そうです、わがままを通しましたよ!最後までめげて他人の言うとおりにしないで、自分の意志を貫いた強い人なんです」って思ってあげてはいかがでしょうか。

      それから、病院側の肩を持つわけではなくて、「自分達にはもっとやれることがあるんだ」という”自信”を欠きたくない心によって、相手を悪く言う、ということがあるのでそれがあると思います(大勢によくあって、自己否定をしない為に、相手を悪者にするんです)。

      あと、「楽になりたいと願う人」も少なからずいると思いますよ。だからホスピスもあるし、海外では安楽死もあるわけで。体が死ぬ病や辛い病でなくとも、心が辛すぎて死んでしまう人もいますしね。

      • たこいち

        2017/4/15

        病院関係者を批判するのは間違いです。むしろ母は治療費やあれこれで息子であるあなたに様々な負担を強いることに悩んでいたからの言動なのでしょう。まあ、簡単に言うなら最後まで子供思いの母親だったということです。

        • たこいち

          2017/4/15

          >何もしないでくれという母親にわがままというレッテルを張った病院関係者。

          病院関係者は患者の命を守るのが最大の任務であり使命?なのではないですか。病院で治療してもらいたくないなら退院し自宅治療にすべきかもしれませんが事情はそれぞれでしょう。

          • たこいち

            2017/4/8

            基本的に、病状が悪化したら病院に入院。そこでなくなると言うケースが多いのが実情です。
             ただ、終末期を緩和ケアのみで、自宅でなくなりたいという希望を持つならば、それを受け入れてくれる訪問医療を探すしかないのです。
             現在では、こうした希望を持つ方も多いので、訪問医療で病院に送らない終末期医療を引き受けてくれるお医者さんも存在します。そういう訪問医療を探し、お医者さんと事前によく相談して、終末期を決めておけば、お母様のようなケースでも希望が叶う可能性はあります。
             
             ただ、実際訪問医療をしているお医者さんでも、最後は救急車を呼んで病院に送ったと言う話を聞きます。お母様が希望されていた終末期医療とは、今医療行為をすれば、数時間でも、数日でも、数ヶ月でも生きる可能性のある患者に、あえてその可能性を排除し、生の時間を断ち切るという事になりますから、医師であってもこの決断は難しいのでしょう。

             ただ難しいのは医師だけではありません。家族も同じです。

             お母様のようにはっきりと意思表示されているケースであっても、今目の前で死期を迎えた母親を、あえて救急車を呼ばずに、その瞬間まで見つめていると言う行為は、家族にとっては、かなり腹を決めてかからないと難しいのです。
             死の瞬間、苦しまれることもあるでしょうし、目の前で人が死んでいくところを見ることは、かなりの衝撃です。そのとき黙ってじっと見つめることの方が大変で、慌てて救急車を呼び、蘇生をしてもらい、どきどきしながら救急車に乗せて、病院で治療してもらう方が、精神的ストレスが低いのです。
             後で思い返したとき、自分はできるだけのことはした、と思うことで、わずかでも気休めになります。
             何もせずに送ることは、いくら本人の希望としても、家族にとっては、後で後悔しないかどうか、とても迷う行為なのです。もしかしたら治療していたら危険を脱して、もう少し生きられたかもしれない。もしかしたら管をいっぱいつけるのではなく、きちんと話せて、ものも食べられるような状態戻ったかもしれない、と言うことを、後から後悔しないとは言えないのです。

             私は最近義父を見送ったとき、まさに目の前で意識を失い、心配が停止し、自然死を迎える瞬間を見ました。おそらく主さんの言う終末期医療であれば、これが死の宣告であり、何も行わずに、後は訪問医療の医師を呼んで死亡診断書を書いてもらうという事になります。
             我が家は、こういう場合は、救急車を呼んで病院に送ると決めていましたので、そうしましたが、ばたばたと救急車の手配をし、慌ただしく病院に送り、緊急手術をし、という事実が、私自身の気休めになったように思います。もしあのとき何もせずにじっと見送ったとしたら、その方が相当なストレスです。
             結果義父は、管をいっぱいつないで、数日を病院で過ごし、その間は意識も戻らず、なくなりました。その数日間、毎日病院に行き、顔を見て、手をさすって、また家に戻り、急変したと言えば夜中でも駆けつけ、などということを繰り返しました。

             どちらを選ぶかはご本人とご家族の決めることですし、自宅での看取りをかなえる可能性はあります。ただそれはそれで、医療の問題以外にも結構ハードルが高いところはある、と言うことです。

            • たこいち

              2017/4/8

              病院に入院されている以上、医療を受けないとなれば、やはりわがままと言われても仕方ないと思いますよ。医療を受けたくなければ入院しければいいだけの話で後はターミナルケア受けるべくホスピスに行かれることですね

              • たこいち

                2017/4/8

                先ずは、精神障害の治療が必要かと思う。
                真面な思考が出来るレベルまで引き上げる様に。

                • たこいち

                  2017/4/8

                  シリア北西部に住んでいる国民は生きている心地がしない日々かもしれない。どうなるシリア、トマホークによる戦死だけはごめんです。

                  • たこいち

                    2017/4/7

                    紀元前一世紀など大昔の人は千歳近くまで生きられていました。
                    新しい天地ではこれ位は生きられるようになるそうです。
                    苦しみがなければいつまでも生きていたいんだとは思います。


                    • たこいち

                      2017/4/7

                      死を気易く口にすると罰が当たる気もしないではありません。
                      特攻隊は生きたくても生きる事はできなかった。

                      自殺しては魂の苦しみは永久に残ると言います。
                      生まれっぱなしの肉によりのではなく魂が生まれ変わっていれば生きる事の試練を試されていると思います。


                      • たこいち

                        2017/4/7

                        兄弟や子供、孫など家族愛に満たされた家族死が一番でしょう。ある意味、公的自然死であり公的孤独死かもしれません。病院の手術台の上だけでは死にたくないです!

                        • たこいち

                          2017/4/7

                          いろいろありますね。安楽死、尊厳死、自然死、孤独死、処刑死、自死・・・人間は自然の一部であるからアレコレの医療科学を排した自然死が一番のようなきがします。次には他人からのアレコレ干渉のない孤独死を希望します。

                          • たこいち

                            2017/4/7

                            >日本の制度ですと自分の死に方は選べないのが現状です

                            大間違いですよ。
                            この国でも、”尊厳死”は認められています。
                            良く調べなさい。
                            ”安楽死”と、”尊厳死”は違いますし、”安楽死”はこの国では未来永劫認められない。


                            • たこいち

                              2017/4/7

                              自分で死期を選べるなら桜の満開を見てからですが…若葉の成長を見たらもう少し生きたいという老欲がわいてくるかもしれない。

                              • たこいち

                                2017/4/2

                                今はだいぶ事情が変わってきていると思いました。

                                つい最近ですが友人のお父様が入院しました。90歳です。肺気腫のほか、腎臓も悪く、肝臓も悪く、更には膠原病という診断も出たそうです。
                                しかし友人は特に治療は希望せず、とりあえず点滴だけでお願いしますと言ったそうです。
                                医者もそれで了解したそうで、胃ろうも透析も無理に勧めてこなかったそうですよ。

                                • たこいち

                                  2017/4/2

                                  日本の制度ですと自分の死に方は選べないのが現状です
                                  医師に掛かっており、死ぬ24時間以内(多少緩和はある)に医師が診断していた病気で亡くならない限り変死ですから
                                  逆に言えば医師を味方に付けない限り死に方を自由にはできないんです

                                  この投稿を見た人のために今回のケースでどうすればよかったかをまとめていきます
                                  1.自分の病気の今後を知っておく
                                  肺気腫は治すことができない病気です、どんなに大きな病院に入っても治せません
                                  できるのは対症療法のみで、それにも限界があります
                                  ちなみに今回の場合、病院でできたことは、酸素濃度の調整と苦痛の緩和程度でしょう
                                  2.病院は基本的に治療するところ
                                  今回の胆です
                                  病院は治療をしなければ満足なお金が入りません
                                  入院してベッドを埋めているいるだけでは、医師や看護師の費用どころか病室の維持費もまかなえないのです
                                  ですので治療を拒否する場合は入院してはいけません
                                  3.在宅医と話し合いが不足していると、悪化した時点で病院に送られて治療される
                                  今回の胆その2です
                                  この状態であれば治療したくない、家で死にたい、入院はしない、などの希望を最初に伝えるべきです
                                  死亡診断書を書いてもらうべき人であり、2の治療を拒否する場合は絶対に必要になる人です
                                  それでも医師ですので何も言わなければ基本的に1秒でも生かそうとします
                                  必要と判断したら病院に入院もさせます
                                  ですので在宅医にどんな形でどこで死にたいか、それとも管につないででも生きていたいかをしっかりと伝えておく必要があります。

                                  医師も人間です
                                  その人がどのように考えているかなんて分かりません
                                  在宅医療を知っている医師であればあるほど「病院に来た場合は最後まで死にたくないんだな」と思っても無理はありません。
                                  そして何より『責任をとりたくありません』から、家族も一緒になって本人の最後を『はっきり明確に』決めてください
                                  予後が判った時点で、早めに話し合いを持ってください。最後の瞬間になるかもしれない場にあなたが居られるかどうかは分からないのですから

                                  • いっくん2018/12/20

                                    すごく医者本位の考え方であきれました。
                                    医者や病院の都合のために患者がいるわけではありません。

                                    2.の病院が儲からないから、治療を拒否するなら入院するなって…
                                    病院の儲けなんて、患者側にはどうでもいいことです。

                                    「病院に来た場合は最後まで死にたくないんだな。」

                                    そんなわけないでしょう。
                                    現実を知らなすぎます。
                                    家族に迷惑をかけないため、または家族から病院に行ってとたのまれたため、泣く泣く自宅ではなく病院で亡くなる事を選択する人も大勢います。

                                    なんだか、やぶ医者が反面教師にして欲しいために登場されたと見え、参考になり助かりました。

                                • タラコ

                                  2017/4/1

                                  >それでも最後はやはり入院しなければならず、本人が入院する日も決めたほどです。

                                  気丈なお母様なのですね。お悔やみ申し上げます。
                                  お母様本人が、入院日を決める事が出来たという病院、
                                  種類としては恐らく、急性期治療病院だったのではないですか?
                                  そうだとしたら、「治療効果がのぞめる患者」を受け入れる病院ですので、
                                  「何もしないでほしい」という意思のお母様と、
                                  相反してしまったのも無理はないかと。

                                  治療回復させる事を目的とする「急性期治療病院」に対して、
                                  急性期治療が効かなくなった患者を受け入れケアする、
                                  「療養病院(医療型と介護型の2種。介護型は今後廃止予定。)」が
                                  ありますけれど。
                                  療養病院への入院は、申請→面談→診療情報提供書の提出→判定会
                                  という流れがあり、急性期治療病院の様に「具合が悪いのですぐ入院」
                                  という訳には行きません。

                                  >自分だったらチューブにつながれたまま数カ月数年と生きるのは嫌だ、、、と思いました。

                                  そう思われるのであれば、リビングウィル(尊厳死の宣言書)をお元気な内に、
                                  作成しておくのも一つの方法です。
                                  有償ですが、公正証書で作成しておけば、紛失などのトラブルも防げます。

                                  肝硬変だった亡父が最期を迎えたのは、「急性期治療病院」でしたが。
                                  主治医は幸いにも尊厳死に理解があり、症状悪化してきた時、
                                  延命治療の功罪や、父にそれを用いた場合のリスクをよく説明した上で、
                                  判断させてくれました。
                                  治らないのであれば延命治療は不要、という意思が父にあり、
                                  書面での意思表示を用意しておいてくれたのも、助かりました。

                                  「急性期治療病院」の最後の手段・延命治療を断った事で、
                                  「療養病院」へ転院する運びになり。
                                  転院先の医療型療養病院が決まった段階で、他界しましたが。
                                  辛苦を長引かせるであろう延命治療をせず、
                                  比較的穏やかに旅立てた事は、せめてもの救いだと思っています。
                                  リビングウィル(尊厳死の宣言書)を始めとする、自分の身の処し方。
                                  私も準備を始めていますよ。

                                  • 元業界

                                    2017/4/1

                                    医療職をかばうのではありませんが、あの人たちは「生きる可能性がある限りは治す」という教育を受けています。当然助かるとみなされたので、主様達の訴えは無視されたということでしょう。

                                     最近は医療系の訴訟も多いのですから。口頭で言うだけではなく、書面で示すなどをする、そもそも病院に行かずに訪問看護を利用する、などといった選択もありましたね。

                                     医療職もそういったことを尊重してほしいものではあります。

                                    • たこいち

                                      2017/4/1

                                      追記
                                      延命治療を拒否する事はできるけどそうなれば死を選択した事にもなりますよね......
                                      これは踏んではならないと言われた踏み絵を踏んだようなものかな?!
                                      でも神はジレンマに苦しんだ果にその選択をしたのなら許されるはずと思います。
                                      ※宗教色が強いコメントなので又削除されるかもしれません。


                                      • たこいち

                                        2017/4/1

                                        色んな課題や疑問が短い文章の中に込められていると感じました。

                                        一つは人それぞれに生きているのではなく何かの任務があって生かされているというのが宗教の教えです。
                                        天主に創造された人間には生死を自分で選ぶ事は基本的にできないんです。
                                        ですが延命治療は拒否する事も可能でそうなればどのように考えればいいんだろうとは思います。

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                                        親族のなかに、アルツハイマー型の認知症になっているものがいます。 元々よく遊んでくれていた親戚だったのですが、今あっても、当時の感じは一切なくて、とても悲しくなってしまいました。 それとともに、あんな感じだった人が、こんなに認知症によって変わってしまうのか‥というショックもあり、自分は絶対に認知症になりたくない、と思うようになりました。 それで予防になりそうなことは片っ端からやってます。今では健康面にものすごく気を使い、血糖値とか血圧も正常、食事は雑穀ごはんにバランスのいいたんぱく質に野菜のメニュー、オイルはココナッツやオリーブなどなど、気を使えるとこはとことんやっています。 みなさん認知症予防でやってることありますか。

                                        認知症ケア
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                                        ゆーさん

                                        義父が要介護3になったために、義母だけでは面倒が見きれなくなったとのことから、現在はうちに来て二世帯で暮らしています。義母は特に要支援とか要介護ではないんですが、足腰が弱ってて、あんまり動きません。 主人も朝から晩まで仕事がありますので、結果的に介護の手となっているのは私。 子供のことを二の次にしても、義父と義母のことを優先して動かないとしかたなくなっています。 主人はだいたいみんなが寝静まってから帰るので、特に今の状態には無関心みたいです。こんなんで、もし義父や義母が他界したなら、主人はなくのだろうか??と考えてしまってます…。 私が何を考えているかなどもわかってないだろうし、なんとなく納得がいかないです。

                                        教えて
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                                        ポニお

                                        70代一人暮らしをしております。94歳になる母親も一人暮らし、これも一種の老老介護なのでしょうか、電車一時間のところにいる母のところへは妹と交代でいっていました。 それが先月足を駅で転んで足を骨折、数週間の入院を余儀なくされたことをきっかけに母に「民間の施設に移る?」と聞くとあっけなくウンと言う返事。抵抗はゼロでした。年老いた子供たちの心配をしていたのは母だったのかもしれません。 今では高齢者向けの賃貸住宅で同年代(かなりあちらの方が若いですが)の友人に囲まれ楽しそうにやっています。 これなら100まで生きそうねと笑いますが、あのころと比べたらいつも職員さんがそばにいてくれるし本当に安心。移って良かったです。

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                                      自分らしい働き方がきっと見つかる

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