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さらでぃん

以前は自分も自分の親も、とにかく長生きしてほしい、と思っていましたが、40代になってだんだんと考え方が変化してきました。
親戚に心筋梗塞を起こしてから寝たきりになった人がいまして、今もいろうをして生きているのですが、面会に行ったときに、これでよかったんだろうか…と思ってしまったのです。
いろうとか人工呼吸器など今は医療的な延命治療というのをやれば、まだ生きていることはできますが、それについても、「過剰か」「過剰でないか」ということも自分のなかで整理ができません。
ある人は家族が「これでよかったんだ」と思える安らかな旅立ちが大事とのことですが、それも延命治療の当人からしたら、納得していたかもわからないんですよね…。

みんなのコメント

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    • さらでぃん

      2017/4/27

      >自分自身がどう思うか?なのである。
      我が身に降りかかったときに、貴方はどう思うのですか?
      自分自身に関しては、ほとんど何もしてほしくないですね。

      >私自身も、今は延命治療は要らないと思っていますが、いざその立場になると(なんとか生かして欲しい)と思いなおすかも知れません。
      生きていることをどうとらえるか、そこに個人差があると思うので、気が変わることもあるのかもしれませんね。

      >安らかに旅立ちしました。今思えばいろうとかして生きててほしかったとか思ったりもします。
      どのような最期になっても、どうだったのだろうか…と後で考えてしまうでしょうか。

      >餓死も老衰のうち、と思えるならそれでいいのかもしれませんが、なかなかそういう踏ん切りはつかないのではないかと思います。
      食べることができないわけですから、それによって衰えて最後を迎えるということですよね…

      • たこいち

        2017/4/9

        病気による闘病の果ての終末医療、延命医療と高齢者の場合はちょっと異なるような気がします。
        私は母を乳がんで亡くしていますので。最後は緩和ケア病棟にて積極的治療はせず痛みだけを緩和させることで1カ月後に死去しました。
        余命宣告を受けて丁度1年の命でした。
        逆に言えば1年、死に向かって準備してきた、とも言えます。
        享年60歳でした。

        86歳以降の高齢者と違うのはがんが再発してからの悪くなり方はガクンガクンと目に見えて悪くなる、ということです。

        長生きする高齢者の一つの境目が86歳のように思います。
        80歳では元気いっぱいだった高齢者が85歳で大腿骨頸部骨折、その入院を機に食欲不振、体重減少から骨粗しょう症、骨粗しょう症から腰椎圧迫骨折、認知症勃発、と86歳から要介護1に始まり90歳では要介護4辺りまでいってしまうような。
        その間に脳梗塞とかで口にまひが出てしまい、胃ろうの話が出たりすると、家族としてはそれを拒否は出来ないと思います。

        友人の母親も胃ろうをして4年になるそうですが、やはり医者から胃ろうの話が出たとき、「もし胃ろうしない場合はどうなりますか?」と聞いたら「その場合は餓死ということになります」と言われたそうです。
        餓死も老衰のうち、と思えるならそれでいいのかもしれませんが、なかなかそういう踏ん切りはつかないのではないかと思います。

        なにしろ友人のお母様の場合、認知症では無かったので意識は明瞭でしたから。94歳だそうですけどね。
        「生きたい?」と聞けば「うん」と頷く母親を何もせずにできるか、ですね。
        友人は自分の母親に「生きたい?」と聞かなきゃならなかったことが一生の心の傷になってこの先も残るだろうねと言ってました。

        • たこいち

          2017/4/9

          普段から延命治療はやめようと親子で話していたから、意識なくてご飯も食べる事ができなくて息も自分で出来ない場合は自然に逝こうと話していました。担当医にも言っていました、安らかに旅立ちしました。今思えばいろうとかして生きててほしかったとか思ったりもします。

          • たこいち

            2017/4/9

            私の母は生前より延命治療は絶対しないようにと遺言していましたが、姉の意向により、胃瘻までされてしまう事になってしまいました。
            でも寝たきりになって声も出す事ができなくなってしまった母は自分の気持ちを伝える事はなく本当はどう思っていたのだろうと考えさせられます。
            私自身も、今は延命治療は要らないと思っていますが、いざその立場になると(なんとか生かして欲しい)と思いなおすかも知れません。
            最期、痛くなく苦しまずに逝けるようにと願っています。

            • たこいち

              2017/4/9

              >「過剰か」「過剰でないか」

              これは、身内であっても他人が決める事では無い。
              自分自身がどう思うか?なのである。
              我が身に降りかかったときに、貴方はどう思うのですか?

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